チャルメラの話

昭和30年代に札幌で実際に使用されていたチャルメラ  西山製麺(株)保管
 しんみりと冷えこんだ晩秋の真夜中、静まりかえった街角ではるか彼方よりかすかに聞こえてくる悲しきチャルメラの調べ ♪ドレミーレド ドレミレドレ~♪
インスタントラーメンがまだ普及していなかった昭和30年代この旋律を聞くと、無性にラーメンが食べたくなったものである。
 オーボエの祖先と云われるチャルメラは、16世紀の末・安土桃山時代の南蛮貿易の盛んだった頃、ポルトガルから渡来した木管楽器でポルトガル語のチャラメラがいつのまにかチャルメラとして呼ばれるようになったもの。渡来の当時は、「南蛮笛」と呼ばれ、明治時代には、中国人の飴売りが使っていたので「唐人笛」とも呼ばれていました。かの有名な石川啄木もその作品、「一握の砂」の中で「飴売のチャルメラ聴けば うしなひし をさなき心 ひろへるごとし」という歌を詠んでいることからも当時を偲ぶことができます。
 中華そば屋台でチャルメラが使われるようになったのは、明治30年代後半の横浜が最初、その後大正時代には、東京でもチャルメラを吹く移動式屋台がいたるところで見られるようになっていきました。しかし最近では、移動式屋台そのものの減少によりめっきりその調べを聴くことがなくなってしまい、たまに聴くことがあってもテープに録音されたものだったりで興ざめの感さえ持ってしまいます。
 ラーメン屋台と夜空に響くチャルメラの悲しい音色は,コンビニもインスタントラーメンもなかった昭和30年代を生きた団塊の世代の懐かしい心の思い出の一コマとも云えるかもしれません。

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